つとむューニッキ(はてなダイアリー版)

つとむューのニッキです。

父親になった瞬間

父親になる瞬間をこの目と心に焼き付けたい。
そんな想いで立会い出産を志願したのは、十三年くらい前のこと。
赤ちゃんが出てくる瞬間を見たいという興味もあったが、
純粋に感動を味わいたい、という期待の方が大きかった。


しかし実際に体験してみると――あまり感動はなかった、というのが正直な感想。
し―っ! このことは黙っておいてくれよ。家族にはまだ話していない。
だって、そんなことを言ったら、人間性を疑われそうだから・・・
この機会だから、十三年間の沈黙を破って当時を思い返してみよう。


あの時のオレは、出産の苦しみに耐える妻の側にいた。
「まだですか? まだですか?」と医者に助けを求める妻の手を握り、
「頭が出てきた、もう少し!」と、看護師と同じ実況を繰り返すだけだった。
頭が出た後は、あっという間の出来事。するする、すぽっ!、て感じ。
しかしオレは妻の方が気になっていて、出てくるところを凝視できなかった。


男は、出産の痛みに耐えてないから、やり終えたという充実感がない。
産まれた子供を見ると感動するかと思ったら、不安の方が大きかった。
こんなちっちゃな動物を、死なせずに無事育てることができるのだろうか?
責任感が湧いたという点では、まさに父親になった瞬間かもしれない。


じゃあ、どうすれば男も出産の感動を味わえるのだろう?
キーワードは二つ、痛みとそこからの開放に違いない。
すると、次のような作戦はどうだろう。


まず、妻が陣痛を感じたら一緒に病院に行き、分娩室で正座を開始する。
そして分娩が終わるまで正座を続けるのだ。
理由を聞かれたら、家訓とでも言えばよい。父も祖父もそうしたと。
それで出産と同時に開放される正座の苦しみに、感動も一際だろう。


えっ、馬鹿なことを考えてないで孫の誕生を待てって?
そりゃそうだな、責任が薄い分、純粋に出産の感動を味わえそうだ。
しかも夫婦揃って、苦痛も無しに。
でも、それだと、父親になった瞬間じゃないんだけど・・・




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